神様が見てくれている…

先日、長女が幼稚園を無事卒園致しました♡

早朝まで雨がすごかったのに、急に晴れて無事卒園式日和でした★

神様有難う!!!( *´艸`)♡

もともとシングルマザーで娘と、当時中学生だった妹の生活を一人でやりくりしていた時は、

毎日ギリギリまで働く必要があったので、預かり時間の長い保育園に行かせていました。

引っ越しを機にこの幼稚園に転園することになったのが平成29年9月でしたが、

あっという間に卒園でした(笑)

気づけば、2歳から託児所に預け3歳から保育園に入所し、今回卒園の約5年間...

沢山苦労かけた娘の卒園式は、涙なしには見られませんでした...( ;∀;)

当時22歳の私は、夜一本で生計を立てていました。

20歳の時に長女を出産★産後 3日で退院

翌2日後の産後5日目には、水商売に復帰しました(笑)

当時は未だ20歳なりたての私は、「なるようになる」が口癖で、まさに若さでしたね~(笑)

水商売と云っても、最初は身体も戻ってないし早く帰りたいのと、

ギリギリまで娘と過ごしたいという思いがあったので、2個下の妹の紹介で

地元のスナックで姉妹で働きました。

週3日毎晩母に預ける前に、必ず沐浴と授乳を済ませ寝かしつけてから出勤です。

夜寂しい思いをさせる分、

自分が出来る事はすべてやってあげたいと思ったから必ず役目を果たしてから出かけました。

夕方6時からオープンするので、17:30には店について清掃からはじまり、

夜は0時に閉店で送迎で帰宅していました。

店から実家が車で15分前後だったので、寄り道がなければ往復30分★

でも、スナックなので付き合いは多々あります...(-_-;)

私の場合は紹介ということもあって、

事情もオープンにしていたのでお客さんも理解があって割と少なかったですが、

たまに店のママが酔った勢いでアフタ―に駆り出されることはありました←

スナックでしたが、私情をオープンにしていたのもあって

100%完全シラフの6時間です(笑)

ちなみにアルコール0%でもテンション等は変わらないので大好評でした(笑)

そんな毎日でしたが、たまに沈む事もありました。

最初のうちは、出勤の際に毎度泣きながら通勤していたし、

ひどいときには、仕事中にトイレで泣いたこともありました。

別に嫌味を言われたって泣きません。

嫌がらせだって気づかないほどです(笑)

でも、ひとつだけ耐えられないのは...娘に会えないことでした。

19歳で未婚で出産を決意して、20歳で出産。

当時のパートナーには、「あんたが居ないほうが、生活が楽」と言って

別れましたが、本当にそうでした(笑)

一人で「出産と育児」に対しては、当時一切の不安も感じていませんでした。

でも、実際に働いてみると、

命かけて生んだわが子を早い数日で母に預け長時間離れ離れというのは、

想像よりもずっと苦しく胸が張裂ける思いでした。

ただひたすらに「あいたい」と涙を流したのを鮮明に憶えています。

仕事中に母乳パットが容量オーバーで、洋服がびしょぬれになった事もありました(笑)

もちろん仕事中は常に胸が張っていて、カチカチになって触れば痛いなんて日常でした。

帰宅したらまずそのまま脱衣所です。

私は喫煙者ではありませんでしたが、スナックは喫煙者の宝庫でした(笑)

なので、まず汚れを落とす儀式...(笑)

シャワーを浴びながら、パンパンに張った母乳を絞り、

スッキリさせてシャンプーからなにから毎度深夜に恒例のように全身洗い流します。

髪も乾かして化粧水等最低限済ませてから、

ベビーベットで小さな寝息の娘をみてまた涙を流します(笑)毎晩泣きます(笑)

それから、ちょうど深夜3時ころで授乳の時間になり授乳しながら、

一緒に眠りに落ちるというのが習慣でした(笑)

仕事やシングルということに対しては、

正直辛いとかは感じた事がなかったと思います。

でも、こどもが親を選べないこと。

親の勝手で片親になってしまった事。

そのせいで、当たり前の幸せを得る事が出来なくなってしまったこと。

不要な気遣いや我慢をさせて寂しい時間を作ってしまっていること。

普通の一般家庭なら感じなくてもいいような感情。

そういった色んな部分で、生まれながらにしなくてもいい苦労をさせてしまっていることに対しての

謝罪の気持ちだったり自分の不甲斐なさとか、いろんな思いが溢れて抑えきれなくなって

申し訳なくて涙が出てしまうんですよね...。

それから半年が過ぎて、スナックを卒業して

名古屋市内の繁華街でキャストとして働き始めその翌年に実家を出て、

娘と妹と3人暮らしをはじめ、昼間は美容関係の仕事に就き

エステティシャンとして働き始めたのをキッカケに、

娘は2歳で名古屋市内の託児所に保育デビューを果たしました。

当時自動車免許が無く、公共交通機関を利用して

春日井市から名古屋市の矢場町まで通勤しました。

夏や秋口はいいのですが、寒くなるにつれて小さな女の子には早朝の満員電車も

帰りの地下鉄の乗り換えも本当に大変で、

それでも娘は、「歩きたくない」と云った事が無かったと思います。

小さな歩幅で、手を引かれながら一所懸命母親についていく姿は、

実母から見ても、健気で愛おしい以外の何物でもありませんでした。

いつも笑顔で母を見送ってくれますが、

たまに、託児所の入り口で「ママといたい」と眼に涙を含ませて、

私を見たときは、本当に苦しくてこっちまで泣きそうになることがありました。

その場では、少し強い口調で追い払うように預けたこともありました。

仕事しなくては、生きていけないんです。

ごめんね。と泣きながらサロンまでの10分弱の道を早歩きで歩きました。

そんな日は出来るだけ早く退勤し、走って迎えに行きました。

帰りにコンビニで娘が好きなヨーグルトのドリンクを買って、

スーツにパンプスでしたが、抱っこして帰りました。

当時住んでいた自宅はエレベーター無しの5階の部屋で、

10k肥えの娘を負ぶってパンプスを片手に裸足で駆け上がりました(笑)

娘は出生時3,650gもあって、普通の子より大きめだったので常にちょっと大きいです(笑)

でも母強しとはよく言ったもので、自分の子供は持ち上がるんですよね(笑)

いまはさすがに難しいですが...(笑)

そんな日々が半年続き、春になって娘が3歳になるころです。

近所の保育園で受け入れの許可が出たので、転職して某靴店で働きはじめました★

もちろん夜も掛け持ちです←

3歳児から4年保育で、6歳の夏まで通った保育園でしたが先生とも何度も衝突しました。

娘は他の子と違って、イヤイヤ期がほとんど無くて

入園の初めのころも、登園時に娘が泣いたり嫌がる事はありませんでした。

でも1年目が終わりかけたころ、

急に園に行きたくないと初めて強く拒むようになって、

経験しなかった状況に戸惑い完全に園に対する不信感しか感じられなくなり、

先生に何度も手紙や電話をしました。

とうとう先生2人と三者面談をすることになり話をしに怒りをあらわに園に向かいました。

でも先生は、違いました。

完全に受け身で私の話を落ち着いて聞いてくれたのです。

私は、娘がいじめに合っているんでは?と感じて、「先生の管理能力」を疑問視したんです。

でも先生は、「長女ちゃんは喧嘩をしませんし、とても優しくて、お友達とも仲良く遊べるいい子です。」と言われたのです。

つづけて「長女ちゃんは、入園式の時からとてもいい子で困る事が無かったのですが、何か我慢しているような気がします。そうゆうような色んなものが、皆と打ち解けていくにつれて今まで我慢していたものが緩んできたのか、今回の イヤイヤ になっているんではないかな?と思っています。」

「大人の表情を窺うような、そんな癖がある...」

これを聞いた瞬間、涙が溢れました。”また我慢”と思ったんです。

本当に悲しかったです。

ママともさん等には常に褒められ、天狗になっていたんだろうか...

子供を窮屈に育ててしまった自分に対して、激しく腹が立ったし

娘が我慢しているということに対して、気づけないほどに気が緩んでいたことに気づいて

より不甲斐なさを再確認して、悔しくて悲しくて、保育園で担任2人目前に号泣しました。

自分が若造で未婚の母やっていることを、

他人にバカにされて、親のせいで子供が貶されたり呆れられたり、

「親が若いから。」と決めつけられるのが嫌で、

自分も必死に大人ぶったし子供にも厳しく教育してきたつもりだったのに、

むしろ子供らしさ自由無邪気さを奪ってしまっていたとに再確認し、

娘に申し訳ない気持ちで涙が止まらず、先生からティッシュ箱を手渡され一緒に泣きました...。

帰りは少し目を腫らして帰ったのを覚えています。

娘は、「なんでママ泣いてるの?」と不思議そうに聞いてきてくれて、

どんな時も、母を気遣う優しい子だったのがうちの長女です♡

そんな風に色んな日々を過ごした幼児期もアッという間に過ぎ去り、来月にはもう小学生です。

本当にたくさんの事を思い出して、

感謝を言ってくれる子供たちをみて私のほうが感謝しているよ。と涙が溢れました...♡

幼稚園の演出で「思い出のうた」という替え歌?も歌詞を配られ、親子合唱したのには、

涙と鳥肌のオンパレードで、開場中が鼻をすする音で包まれました(笑) 私も号泣に近かった(笑)

本当に素敵な卒園式でした(*^-^*)

次は、いよいよ小学生★!!

ワクワクと不安で毎日着々と準備をしていますが、

無事に新一年生を迎えられる事を願って本日は締めとします🙌

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本日もながながとお付き合い有難うございます★

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私の人生バラ色じゃなかった!旦那様は21コ上の名古屋焼き陶芸作家(笑)

18歳で高校行きながら憧れだった夜の世界でアルバイト、甘いも酸いも味わった。19歳で妊娠出産...。夜と昼を掛け持ちした6年間。そんな私が、20代も後半になって名古屋焼を志す【陶芸作家】の妻になります!21歳差の伴侶は陶芸作家(笑)